この村ははっきり言ってタイの中でも特に貧しい地域に該当すると思う。でも、こういった一見貧しい地域で暮らす人々ってなんか不思議と幸せそうで、私はその謎が気になっている。
あきらかに貧しいのになぜ幸せなのか?
特にこの村を出たことのない人は、村での暮らししか知らないという事がまず第一にあるのかもしれないのだけれど(他を知らないから上も下も比較の使用がない為)。
娯楽施設も一切無く、日々淡々と農業して生活する様子は不思議と見ていて飽きないし、とても幸せそうに見える。村暮らし2週間が経過して、村人の様子を見てると私はある事を発見した。
例えば今叔母の家は建て替え中なのだけど、家作りに親戚男性陣が集って家作りを手伝う。ただ普通に手伝うってわけでは無く、釘を打つ間隔は何センチ!と言い合いこしてワイワイ楽しそうに作る。家族が住む家を家族で協力してこんな雰囲気で作る家って、なんかすごく住みたくなるよなぁと。これは作ってる側も見てる側も楽しくて、村人の幸福度の高さはこうやって育まれていくのか、と心底感じた。
同じように、今はカオニャォの稲刈りの時期で、稲刈りやその稲と米を選別する作業は子どもから大人まで家族総出でやるからこれもまた見ていて圧巻だった。
見てるだけで幸せを感じるこの雰囲気は一体何なんだろうか。
生活するので精一杯の村人達だけど、幸福度の高さはとても明確で、その幸福感は日々このように生きていく為に協力し合う姿から育まれているのだと感じる。私はこの村で村人から学ぶ事がほんとに多くて、この夫に出会えてホントに良かったと日々感じている。